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「アンパンマン」のやなせたかし氏 死去 94歳 [社会ニュース]

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「アンパンマン」の作者、漫画家の やなせたかし(本名=柳瀬嵩)さんが 13日、心不全のため死去されました。

享年94歳。

葬儀・告別式は近親者のみで執り行い、
後日、しのぶ会を開く予定。

やなせたかしさんは、大正8年生まれ、 高知県で育つ。東京高等工芸学校(現千葉大工学部)図案科を卒業後

グラフィックデザイナーとして、
田辺製薬(現田辺三菱製薬)、三越百貨店(現三越伊勢丹)などに勤務。
三越の包装紙にある「Mitsukoshi」の文字は当時、
やなせさんが描いたそうです。


引用:YAHOOニュース
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昭和28年に独立し漫画家デビューし、漫画家だけでなく、
ラジオドラマの脚本や詩、童話なども手掛け、多彩な才能を発揮。

やなせたかしさんは、作詞家としても活躍し、 「アンパンマンのテーマ」も作品のひとつ。

昭和36年に作詞した「手のひらを太陽に」(いずみたく作曲)は NHKの「みんなの歌」で放送されて反響を呼び大ヒット、 小学校の音楽の教科書にも載りました。

作詞がやなせたかしさんとは、
まったく気づきませんでしたが、
自分も学校でよく歌った記憶が鮮明です。

「アンパンマンのテーマ」と同様に、
多くの子供たちに歌われたはずです。

昭和39年からNHKで放送が始まったクイズ番組
「まんが学校」で講師役を務め、
上手にマンガを書く方法を毎回解説して人気を集めました。

昭和48年には雑誌「詩とメルヘン」を自らが中心となって創刊。
詩にイラストを添えて載せた形式が評判を呼んだ。
雑誌は平成15年の廃刊まで30年間にわたって刊行され、
ここから多くのイラストレーターを輩出したそうです。


昭和48年にやなせたかしさんが出版した絵本 「あんぱんまん」(当時は平仮名表記)は、 子ども向けの雑誌に連載を始めた 「それいけ!アンパンマン」シリーズはテレビアニメになり、 困った人に自分の顔をちぎって与えるヒーローが高い支持を得て大ヒット。

テレビアニメ化されると、その人気は国民的なものになり、
アニメ映画作品も繰り返し作られ、
国内だけでなく、スペインやブラジルなどでも
放送されて世界各地の子どもたちに愛されました。


ウィキペディア”アンパンマン”から引用
【原型作品は、1969年に「PHP」誌に連載されていた(大人向けの)読み物
 『こどもの絵本』(単行本のタイトルは『十二の真珠』)の
 第10回連載「アンパンマン」(10月号掲載)。このときは頭部も普通の人間で、
 ただし空腹の人のところにパンを届けるという骨子は同一だった。
 1973年、これを発展させたキャラクターとして、あんパンでできた頭部を持つ
 「あんぱんまん」(初期の作品では平仮名で表記されており、デザインもやや異なっていた)
  が「キンダーおはなしえほん」(フレーベル館)10月号に登場した。ちなみに同書は、
  やなせ初の幼児向け絵本であった[1]。1975年、キャラクター名を片仮名に変更した
  続編の絵本『それいけ!アンパンマン』を出版。】


アニメ映画の挿入歌の歌詞も大半を自分で書くだけでなく、
作曲も手掛け、歌手デビューし、その後、ミュージカルにも出演した。
晩年も積極的に活動を続け、平成12年から24年まで
日本漫画家協会理事長を務め、その後、同協会会長に退いていた。

こうした功績が評価されて平成3年には勲四等瑞宝章を受章しています。

どれだけの子供たちに夢と希望をもたらしたかわからない やさせたかしさんのアンパンマン。

心よりご冥福をお祈りします。


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